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ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題で、被害を訴える元ジャニーズJr.(ジュニ ア)で「ジャニーズ性加害問題当事者の会」メンバーの木村伸一さん(46)が取材に応じた。アイドルグループ「V6」のメンバー入りを打診されながら、ジャニー氏からの性行為を拒否した後、デビューのメンバーから外されたという。「当時は『性行為を受け入れられなかったからデビューできなかった。自分の責任』と自分を責め続けた」と打ち明けた。(望月衣塑子)
◆履歴書を見たジャニー氏がたびたび電話
木村さんの父親は2度にわたり事業を失敗。1度目は小学6年の時だった。木村さんは中学時代は朝夕、新聞配達をして家計を支えた。高校に入ると、父親が新たな仕事を始めたため、自分のバイクを買おうとガソリンスタンドとファストフード店のバイトを掛け持ちした。
高校2年の夏、父親が事業を再び失敗し、破産。バイトでためた70、80万円を母親に手渡した。「夜の仕事の方が時給がいい」と友人から聞き、夕方はファストフード店、夜はカラオケ店で働いた。月20万円ほど稼いだが、ほとんどを家計の足しにした。
ちょうどそのころ、親類が木村さんに内緒で事務所に応募していた。履歴書を見たジャニー氏は半年にわたり何度も自宅 に電話をかけてきたが、母親は事務所のことを全く知らず、電話をつながなかったという。
◆「YOUは絶対スターになれる」
高校3年だった1995年1月、一つ年上の姉が電話に出て「ジャニー氏と言えば、事務所の社長だ」と、木村さんのバイト先のファストフード店の連絡先を伝えた。ジャニー氏から連絡を受けた店長に「すぐに行ったほうがいい」と促され、「KinKi Kids」のコンサートが行われていた地元・大阪で、ジャニー氏と初めて会った。
「YOUは、顔がいいから絶対スターになれる。ソロで秋口にデビューさせたい」と口説かれた。当時、テレビはほとんど見ておらず、「光GENJI」の名前が分かるくらいでアイドルに全く興味がなかった。
父親の事業失敗でそれどころでなく、就職も決まっていると断ったが、ジャニー氏は「学費は全部出す。東京に来てアルバイトできない時は、その分は全部払うから、秋のデビューまで専門学校に入ってはどうか」と諦めなかった。
3日後、いろいろ悩んでジャニー氏に電話し、渡されていた新幹線のグリーン車のチケットで東京に向かった。
公衆電話から連絡すると、ジャニー氏は白の高級車で迎えに来て六本木の高級マンションに向かった。
◆執拗に体を洗われた
ジャニー氏の自宅マンションは広いリビング、大きなキッチン、室内に階段があり、衣装部屋もあった。ジャニー氏に「(少年隊の)東山紀之と話をするから部屋で待ってて」と言われた。
部屋でくつろいでいると、ジャニー氏が入ってきた。ジャニー氏の膝の上に座って頭をなでられながら、このマンションの何階に大使館員が住んでいる、何階に国会議員が住んでいるなどと話してきた。「デビューしたら、このマンションに住めるから」と言われた。
その日は風呂に入り、寝た。何もされなかった。
翌日、疲れからか発熱した。ジャニー氏はかいがいしく世話をしてくれた。米国の劇場街ブロードウェーの話などをしながら、体温を唇で測るようなしぐさをしておでこにキスをしてきた。
「汗もかいたし、お風呂に入ってきな」と促され、風呂に入ると、ジャニー氏に執拗しつように体を洗われた。
(続きはソースで)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/280116/1
異常
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